写真の行方
祖父の撮った膨大な写真は、もうこの世にない。一葉の写真も残っていない。
祖父はライカ使いだった。ライカ・コンタックス論争で有名な小冊子「降り懸かる火の粉は拂はねばならぬ」に寄稿していたほどなので、当時はブイブイと言わせたライカ使いだったのだろう。
実家の屋根裏部屋には壁面を埋める大きな本棚があり、すべての棚がモノクロプリントのアルバムで埋まっていた。祖父曰く、「白から黒まですべての階調が揃った写真がいいモノクロ写真だ」という。父がそんな話を祖父から聞いたと言っていた。
祖父が亡くなり実家を売り払うとき、その他の家財道具といっしょにアルバムは処分された。当時、僕は写真やカメラと無縁の生活を送っていたので、写真の行方にまったく興味がなかった。祖父の写真を一度も見ることなく、気づけばそれらは姿を消していた。いま思うと、何枚かでも残しておけばと思う。
でも仕方のないことなのだ。
家族と縁もゆかりもない被写体が写った写真など、残された家族はまったく興味が持てない。だからそれは、仕方のないことなのだ。
これまでの写真をすべてバックアップしたハードディスクの山を前に、そんなことを思った。
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