ポンカメ、なくなっちまったよ。
賞をもらったことがない。そもそもフォトコンに応募したことがない。写真家としての実績がないまま、書籍や雑誌でオールドレンズの原稿を書いていた。ライターなのだから、それで何ら問題はなかった。
ところが、状況が一変する。登壇や講師の仕事が増えるにつれ、ライターという肩書きが通用しなくなった。「ご紹介の際の肩書き、写真家でよろしいですか」と聞かれることが増えた。さらにオールドレンズの専門家として取材を受けるようになり、ますます写真家という肩書きが求められる。さすがにこのままではいられない。
名刺の肩書きを「写真家・ライター」にしてみる。個展も開く。写真家としての最低限の体裁を整えたつもりだが、なんとも尻の座りがわるい。このとってつけたような感じ、どうしたものか。そんなぼくにお墨付きを与えてくれたのが、日本カメラ誌の口絵だった。
口絵、いわゆるフォトギャラリーページはカメラ・写真誌の花形だ。毎号、一流の写真家勢が名を連ねる激戦区。おいそれと載せてもらえるページではない。そんな日本カメラの口絵に過去3回掲載してもらうことができた。しかも内2回は表紙でも写真を使ってもらえた。
2014年11月号「クラフトマンシップ」
2016年9月号「Mobbed Hong Kong」
2018年1月号「開平-自衛の亡骸」
写真家としての実績がないぼくにとって、これはとてもありがたいことだった。ライターとして日本カメラに記事を載せることと、写真家として口絵に載るのではまったく意味がちがう。もし口絵に載ることがなかったら、いまでもぼくは写真家と名乗ることに気後れしていたかもしれない。
そんな日本カメラも今月号で休刊。会社自体も解散するという。いまどきは口絵に載るよりも、SNSのフォロアー数のほうが写真家としての存在証明になるのかもしれない。ただ、そのことを受け入れるには、もうすこし時間がかかりそうだ。
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