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February 09, 2021

純文学があるなら純写真があってもいいじゃないか

写真は表現技法として稚拙、という話を知り合いの写真家と議論したことがある。他分野から写真業界に入ってきた人には案外すんなりと受け入れてもらえる話なのだが、根っからの写真愛好家は気分を害するかもしれない。小説、絵画、映画、音楽、さまざまな表現手法ではあたりまえのことが、なぜか写真ではひどくぎこちない。

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●渡部さとる著『じゃない写真 現代アート化する写真表現』

たとえば、「ありのままを撮るべきか、作り込んで撮るべきか」という問題。事実と虚構。写真では永遠に交わることのない両者だが、他の表現分野では棲み分けと融合があたりまえのように行われている。写真の頑な姿勢はどこか稚拙に見えるのだ。

ただこのとき、ふたりともなぜ写真が稚拙なのか、という答えにはたどり着けなかった。得体の知れないモヤッとした感情だけが残った。

先日、渡部さとるさんの『じゃない写真 現代アート化する写真表現』を読んだ。先のモヤッとした感情がきれいに晴れた。もっと言うと、長らく写真について漠然と抱いていた得体の知れない印象が、すべてこの本で明瞭になった。「ライン川2」が4億4000万円で落札された理由、オリジナルプリント販売にまつわる価値創出の不思議、そしていまどきの写真が“わからない”という現象。おそろしいほどのわかりやすさですべての理由が記されている。それこそアカシックレコードを解き明かすような感動があった。

本書は撮りたい人には不要かもしれない。でも、写真の正体を知りたい人には必須の教科書だ。前提として「最近の写真はわかりづらいなあ」というモヤモヤ感があり、著者の歩みに寄り添いながら、そのわかりづらい写真を紐解いていく。上から目線で「写真とはこういうものだ!」と解説するのではなく、著者自身の写真集制作やポートフォリオレビューを通じて、ともに理解を深めていくのだ。語り口がやさしいのでついついページが進み、気がつくと写真の深淵をのぞいていておどろいた。

写真には好むと好まざると被写体が必要だ。純然たる写真を目指すとき、その被写体が妨げになる。写真は被写体に依存する。被写体という呪縛から逃れられない。仮に被写体から解放された写真、被写体不在の写真があるとしたら、それはそもそも写真なのか。

文学には純文学というカテゴリーがある。読み手にこびることなく、文学性だけを追求する文学が許されている。実のところ、最近はあまり元気がないけど。もしかすると、現代の写真は純写真を目指しているのかもしれない。渡部さとるさんの『じゃない写真』を読んで、そんなことを思った。

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