その日、朝食も取らずにホテルを出た。早朝の涼しいうちに撮影しようという目論みだ。ホイアンの旧市街へつづく道は、通勤通学のスクーターでごった返している。日本と逆の右側通行が、路上の混雑をよりカオスなものに見せていた。
狭い道をスクーターの群れが押し寄せてくる。
撮りはじめて小一時間、体中から汗が噴き出す。首から提げたライカが重い。踏み出す一歩も重い。開店準備中のカフェに頼み込み、休ませてもらう。店先の日陰に椅子を置き、腰掛ける。ベトナムの屋台やカフェの椅子はどうしてこんなに小さいのか。まるで白雪姫の小人用だ。膝を折り畳むようにして座り、甘ったるいカフェ・スア・ダーを飲む。コンデンスミルク入りのベトナムコーヒー。これがやけにおいしく感じられるのは、ベトナムの刺すような暑さのせいか。
普段コーヒーはブラックだが、郷に入っては郷に従え。この甘さがいい。
午前中のホイアン旧市街は閑散としている。観光客があふれるのは夕方からだ。暑い日中は、青い空と黄色い壁だけが静かに佇む。そんな旧市街を、あることに注意しながら歩いた。
昨晩、レストランに入店するとき、涼しい席を頼んだ。すると返ってきた答えが「ホイアン、ノーエアコン」だったのだ。世界文化遺産に指定された旧市街は、美観を損ねるという理由から室外機の設置がNGらしい。たしかにこれまで入ったカフェやレストランは、どれも窓をフルオープンにして、天井で巨大な扇風機がぐわんぐわんと回っていた。改めて街を見てまわると、たしかに室外機は見当たらない。写真を撮る身には地味にありがたい。
ホイアンの中心を流れるトゥボン川にたどり着く。夕方になると観光用の小舟が川面を埋め尽くすのだが、午前中は小舟どころか人影すらない。白い太陽が頭上に昇り、足下に小さな影を描く。時折、人力の三輪タクシー、シクロが列をなして通り過ぎるが、どのシクロも客は乗っていない。この暑さだ。地元の人も観光客も、早々外には出てこない。
早朝、運転手すらいないシクロが道端に佇む。
被写体を探しながら川沿いを歩く。ベトナム笠の老女に目がとまる。天秤棒で果物を提げている。ホイアンでよく見かける光景だ。写真を撮らせてもらえるだろうかと逡巡していたら、向こうから写真を撮れと身振り手振りで伝えてきた。心置きなくベトナム笠の老女を撮らせてもらう。いかにもベトナムらしいひとコマが撮れた。
そしてファインダーから目を離し、カメラを下げた瞬間、老女の目つきが変わった。天秤棒のカゴを指さし、バナナを買えと猛烈にアピールしてくるのだ。このバナナはとても甘い、おいしい。写真撮らせてやっただろ、おまえは買うべきだ、と。ベトナム笠と天秤棒、バナナ売りというコスプレ。そうだった。旅先に親切なんてない。
バナナ売りの老女に別の場所で再会。売れないらしい。
折れた心でホイアン市場を彷徨う。雑貨と生鮮食料品を扱うホイアンでもっとも歴史あるマーケットだ。大きく古い建物の中に、小さな店舗がひしめいている。雑貨フロアを見てまわると、Tシャツ屋が多い。著作権を拡大解釈したプリントTシャツ。お土産に買って帰ったらウケるだろう。ところが、肝心の店員の姿が見当たらない。ふと足下に視線を落とす。Tシャツを並べた台の下から、男の脚が伸びていた。さすがに息を呑む。昼寝と気付くのに、数秒かかった。ベトナムの日射しは、誰にとっても等しく暑いのだ。
カラーだとほぼ事件現場なので、モノクロでどうぞ。
●Turtlebackオールドレンズ・ワークショップ
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