Google Earth 風景が事実に変わる瞬間
Google Earthをご存じだろうか。より正確に問うならば、おぼえているだろうか。バージョン4.0の日本語版がリリースされ、「日本語版なら試してみようかな」と、重い腰をあげてみたというのが正直なところではないか。はじめて登場したときは革新的ソフトウェアと騒がれたものだが、大半の一般ユーザーにとってGoogle Earthは、その程度のものだと思う。
【見るだけ……はつまらない】
全世界の衛星写真を見られるというのは刺激的だが、閲覧するだけでは案外すぐに飽きてしまう。ちなみに上の画像は、3D Warehouse ネットワークリンクでビルを3D表示したものだ。「へえ、Google Earthってこんなこともできるんだ」と興味を示す人がいるかもしれない。そして実際に、ダウンロードして3D表示を楽しむ人もいるだろう。一二時間は熱中できる。なにしろ世界中の建物をリアルに3D表示できるのだから。でも果たして、その人は明日も明後日も世界中の3Dビルディング巡りに熱くなれるだろうか。かけてもいい、閲覧ソフトとしてのGoogle Earthは、そんなにおもしろいものじゃない。
【衛星写真は基礎データに過ぎない】
衛星写真の閲覧ソフト――そうとらえている人にGoogle Earthの本質は見抜けない。Google Earthとは、場所というデータベースに各種情報をマッピングしてこそ真価を発揮する。衛星写真そのものが目的ではない。衛星写真は基礎データベースに過ぎず、そこにどんな付加価値を載せられるかが重要なのだ。たとえばWikipediaで調べものをしていると、その場所の情報がほしくなる。エジプトのピラミッドについて調べていたとしよう。Wikipediaを使えばすぐに詳細な情報が手に入る。ピラミッドの写真も見ることができる。しかし、エジプトのどこにあるのか、という肝心な点は思いのほか曖昧だ。申し訳程度の地図はある。でも、詳細な地理情報は得られない……。
早い話、Wikipediaの各項目に緯度経度が明記してあれば、即座にGoogle Earthで現地の写真を見ることができる。Wikipediaは膨大な情報を蓄積しているが、場所という概念とのリンクはあまりに気迫だ。せめてGoogle Mapsにリンクでも張ってくれ、とボヤきたくなる。誤解を恐れずにいうならば、いま我々を取り巻くさまざまな情報は、リアルな場所から浮遊している。最近でこそマップサービスに各種情報を付記できるようになってきたが、所詮ベースになっているのは地図という間接的な情報だ。せっかく、Google Earthという全世界を写真で閲覧できるツールがあるのに――。
【写真に意味を添えるWikimapia】
と、嘆いていたら、Google Earthと情報をダイレクトに結ぶツールがあらわれた。それがWikimapia data feederだ。Wikimapiaとはそもそも、Google Mapsを使って場所に関する情報をユーザーが書き加えていくサービスだ。その情報部分をGoogle Earthで表示できるようにしたのが前述のWikimapia data feederである。と、言葉で説明してもわかりづらいので、具体例を見てもらおう。
この写真はドバイの海岸線で見つけたものだ。一見するとエイリアンの子供のように見えなくもない。Google Earthだけだと、「へえ、世の中にはおもしろいものがあるねえ」で終わってしまう。そこでWikimapiaの出番だ。
WikimapiaをONにすると、枠とプレイスマークのアイコンがあらわれる。これがユーザーによって書き込まれた情報だ。プレイスマークの名前から察するに、このエイリアン風の土地はパームアイランドというらしい。さらにプレイスマークをクリックすると、ブラウザで詳細情報が確認できる。2002年に着工し、2007年後半に完成予定。そんな情報が読み取れる。肝心の「パームアイランドって何さ!?」という疑問は残るが、それはウェブで検索すればいいだけのこと。「ドバイ パームアイランド」で検索すると、リゾート向けの人工島だと判明した。さらに公式ホームページにも簡単にたどり着けた。
さらにもう一例。左の画像はGoogle Earthで北朝鮮上空を表示したものだ。なにやら物々しい建物が点在し、かなり怪しげな土地である。Google Earthだけだと、「やっぱ北朝鮮は怪しい」で終わってしまう。Wikimapiaで情報表示してみると、nuclear、plutonium、Yongbyonの文字が見て取れる。日頃ニュースを見ている人ならピンとくる。寧辺の核関連施設、プルトニウム再処理施設にちがいない、と。
衛星写真がつまらない理由は簡単だ。写真は風景にすぎない。たしかにGoogle Earthの衛星写真には、山火事、交通事故の瞬間、沈没船、未確認飛行物体(!?)など、いろいろとドラマチックな場面が写っている。しかしそうしたドラマは結局、写真を見ている人の憶測であり創作だ。いま一度冷静に考えてみよう。写真に写っているものは、虚構でも推測でもない。まぎれもない現実だ。にもかかわらず我々は、写真から現実を読み取れない。現実の影絵から物語りを組み立てることしかできない。
Wikimapiaの情報は、実のところ密度に欠ける。せいぜい名前がわかる程度だ。詳細情報を得られるポイントは限られているし、基本的に現地語なので情報収集にも言語的な限界が見え隠れする。ただ幸いなことに、いまのインターネットは名前さえわかれば大量の情報収集が可能だ。Google Earthで俯瞰したビル群は、そのままでは「ビルが密集する場所」に過ぎない。しかし、そのビルひとつひとつの名前がわかれば、そのエリアの意味が見えてくる。ただの風景が、意味をともない事実に変わる瞬間だ。
写真に情報が加わったとき、風景は事実に変わる。生の世界(リアルワールド)をのぞく窓――それがGoogle Earthの本質だ。
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