Photography

October 13, 2017

写真を語る前に「ゲーマーズ!」を読もう

最近「ゲーマーズ!」というライトノベルを読んでいる。いい年したおっさんがライトノベルかよ、というツッコミはさておき、この小説が写真の切り口からも読めておもしろい。

題名通り、ゲームが軸となる物語なのだが、主人公は普通のゲーム好き、ヒロインはeスポーツ指向のゲーム部の部長という設定だ。ざっくり言うと、ガチ勢とエンジョイ勢のゲーマーがラブコメ展開を繰り広げる。五角関係というやりすぎなラブコメ展開に著者の悪意を感じるが(笑)、ガチ勢、エンジョイ勢というスタンスのちがいがていねいに描かれていておもしろい。

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登場人物はおしなべてゲーム好きなのだが、ゲームとの距離感にちがいがある。ゲーム部の人たちは、ゲーム大会で懸賞金を稼ぐようなゴリゴリのeスポーツ指向だ。一方、主人公他数名は、ゲームは好きだけどプレイ技術についての向上心はなく、とりあえず楽しければオッケーという感じ。むしろ楽しんでこそゲームだよね、というスタンスだ。ガチ勢か、それともエンジョイ勢か。小説内では、こうしたゲームに対するスタンスが登場人物らのアイデンティティーとして描かれており、この譲れない一線を巡って悲喜こもごもの物語が繰り広げられる。たかがゲーム、されどゲームというわけだ。

さて、勘のいい人はそろそろお気づきだろう。ガチ勢とエンジョイ勢、この切り口はそのまま写真にも当てはまる。フォトコンテスト受賞を目指すのはガチ勢、SNSに写真をアップして「いいね」の数に一喜一憂するのはエンジョイ勢。個展のために作品づくりを行うのはガチ勢、誰に見せるでもなくスナップを楽しむのはエンジョイ勢。プロはガチ勢、アマチュアはエンジョイ勢。とまあ、こんな風にカテゴライズしていくと、写真との関わり方に緩急あることがわかる。ただ、ゲームのガチ勢、エンジョイ勢というスタンスはややもするとアイデンティティーの問題になりかねないのに対し、写真のそれはもう少し柔軟性がある。柔軟性というよりも、共存というべきか。ひとりの中に、ガチ勢の写真家とエンジョイ勢の写真家が同居しているのだ。

ぼくの場合を例にとると、オールドレンズの作例撮りやカメラドレスアップのブツ撮りは、これは問答無用のガチ勢。自分の中の「こう撮りたい」というイメージ目指して一直線に突き進む。家族旅行のスナップはエンジョイ勢だ。その時々でお気に入りのレンズをライカに付け、一二段絞って気軽に家族を撮る。仕事はガチ勢、プライベートはエンジョイ勢、これが基本的なスタンスだ。

では、子供の運動会はどうか。これはもちろんガチ勢だ。プライベートな撮影だが、ガチ勢である。年に一度の運動会は、父親の威厳とその後のカメラ予算をかけた重要な一戦である。事前に子供にヒヤリングして、演目ごとの立ち位置を聞き出す。この事前情報とプログラムを元に、機材を選び、撮影の場所取りを詰めていく。ぼくが唯一AFレンズを持ち出すのも、子供の運動会だ。

プロだからといって、いつも本気モードというわけではない。アマチュアだからといって楽しんでばかりというわけでもない。いち写真家として、純粋にカメラや写真を楽しむ瞬間もあれば、抜き差しならぬ真剣勝負という場面もある。写真はその時々で関わり方が変化する。これが写真のいいところであり、ややこしいところでもある。

写真に対する情熱は、人それぞれなのではない。状況如何と見据えるべきだ。普段、マイペースで写真を楽しんでいるスナップ派だって、状況によってはプロ顔負けの真剣さで写真に向き合うことがあるだろう。逆に、写真に対して常にストイックなモノクロ写真家であっても、孫の前ではデレデレ甘々なおじいちゃんフォトグラファーになってしまうにちがいない。そしてどちらの顔も、その人にとって真実の写真との付き合い方なのだ。

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先日、写真加工に関するコラムを書いた。これがTwitterでちょっとした話題となり、様々な反応を見ることができた。コラムに即したものもあれば、ぼくが伝えたかった話とは異なる部分で議論を展開する人もいた。いずれにしても、写真加工についてはひと言言いたい人がたくさんいるようだ。

こうしたコメントを読んでいて、微妙に噛み合わない感じがすごく気になった。ぼくの文章に反論しているのだが、でも根っこは同じこと言ってるよね、とか。賛成と言いつつ、よく読むとぼくが反語として書いた部分に勘違いして賛同していたり、とか。

写真家はガチ勢とエンジョイ勢の間を行ったり来たりする。写真について議論するとき、その人のどのスタンスから言葉が発せられているのか、その点を意識すると、きっとお互いの理解が深まるような気がした。ちなみに、「ゲーマーズ!」の面々は積極的に誤解を深め、人間関係をこじらせていくのだが。

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October 10, 2017

ぼくらはノートリミング主義を笑えない

SNSを見ていたら、写真加工に関するおもしろい投稿を見つけた。長い投稿だったのでかいつまんで言うと、「なぜ人は写真加工の有無について自己申告するのか?」というものだ。「少しトリミングしています」「軽く補正しました」「HDRで処理しています」などなど、写真公開とともに言葉を添える人は少なくない。また、公開された写真に対し、「これはJPEG撮って出しですか」と暗に制作工程を問う書き込みもよく見かける。これらの問題は、突き詰めるとシンプルなところに行き着く。写真加工の善悪。そう、写真加工は良いことなのか、それとも悪いことなのか、という問題だ。

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誤解を恐れずにあえて書こう。人は誰もが「写真は無加工であるべきだ」と思っている。撮ってそのままの写真こそがもっともすばらしいと、多くの人は信じて止まない。ぼくらを取り巻くありとあらゆる写真が、すべて加工済みであるにも関わらずだ。

そう、フィルム時代もデジタルになってからも、商業ベースで無加工の写真などありえない。ポスター、看板、書籍、雑誌、ありとあらゆる写真は、その印刷形態や展示形態に合わせて加工が施されている。ページレイアウトに合わせたトリミング、被写体を鮮やかに見せるためのトーン調整、人物写真は瞳の写り込み対策が欠かせない。撮ってそのままの写真を使うことなど、ほぼ皆無だ。

おそらく撮って出しが許されるのは、作例と報道ぐらいだろう。カメラやレンズの性能を評価するための写真は、撮って出しでなくてはならない。報道写真は真実を伝えるという使命のため、無加工であることが望ましい。しかしながら、こうした分野以外、商業用途にせよ作品用途にせよ、写真はほぼすべてが加工済みだ。

にも関わらず、撮ってそのままの写真こそが美徳と、多くの人は信じて止まない。トラディッショナルな写真教室では、トリミングや加工は堕落とすら教えかねない勢いだ。写真をやらない人たちだって、合成と聞いただけで眉をひそめるではないか。

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ぼくが写真をはじめたばかりの頃、RAW現像ソフトでひたすらトリミングの練習をした。当時、RAW現像ソフトはSILKYPIXがほぼ唯一の選択肢だったのだが、非破壊編集というやり直しの効く編集環境は魅力的だった。一枚の画像を幾通りにもトリミングし、どういう構図が美しいのか、どんな構図が自分の好みなのか、納得が行くまで何度も作業を繰り返す。色調やトーンも同様だ。画質劣化しない非破壊編集をこれ幸いと、一枚の写真をとことんいじくり倒した。自宅で画像編集できるのはデジタルの特権だ。デジタルカメラとパソコンがあるならば、その特権を謳歌してこそである。そううそぶきつつ、なぜ加工に罪悪感をおぼえるのか。

こんなこともあった。はじめての個展でデジタル赤外線写真を展示したときのことだ。高校時代の友人がギャラリーに足を運んでくれた。一通り写真を見た後、彼は「すばらしい作品だ」と褒めてくれた。友人は写真やカメラに精通していない。デジタル赤外線写真は特殊な処理を行うので、そうした部分を簡単に説明する。赤外線を受光できる特殊なカメラを使い、さらにカラースワップという独自の画像編集を経てこの写真が完成するのだと。友人は苦笑を浮かべ、こうつぶやいた。なんだ、この写真がそのまま撮れるわけじゃないのか。

ここでぼくは、ロバート・M・パーシグの「禅とオートバイ修理技術」を思い出す。バイクツーリングしながら哲学的思考を展開する奇妙な小説だ。この本の中にこんな一節がある。主人公らがバイクツーリングしていると、友人のバイクが途中で不調になってしまう。友人のバイクはハーレーだったかドカティーだったか、とにかく高級車だ。主人公は空き缶を加工して修理パーツを作り、友人のバイクを直そうとした。すると友人は頑なにそれを拒む。主人公は友人に説明する。これは見た目こそ悪いが、市販の修理パーツとまったく同じ働きをする、と。それでも友人は首を縦に振らない。「俺のハーレー(ドカティーだったかもしれない)を空き缶で修理するなんて、カンベンしてくれよ」と言外に思いを滲ませる。主人公はここで、クオリティーという概念に行き当たる。高級車はちゃんとしたパーツで直すべきという友人の考え。空き缶を加工したパーツも市販のパーツも、ともに同じ働きをするという現実。両者の間に何があるのか。主人公の思索はつづく。とまあ、そんな話だったと思う。

写真についてもまったく同じことが言える。詰まるところ写真にも、クオリティーという絶対値の世界があるのだ。論理的に説明するのは難しいが、誰もが内包する尺度。それがクオリティーである。写真は撮ってそのままの姿こそが理想、加工した写真はニセモノという感じ方。これが写真のクオリティー(絶対的な価値観)だ。この感じ方を根底から、かつ論理的に否定するのは難しい。どんなスタンスの人であれ、写真は撮ってそのままの姿が良い、と思っている。これは理屈ではない。

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さて、ぼくらはどうすればいいのだろう。クオリティーという名の心の声に従って、写真は無加工で使うべきなのか。それとも心の声に抗い、加工に手を染めるべきなのか。もちろん、そんな画一的な判断では結論にたどりつけない。写真は素のままであるべきという共通認識を踏まえた上で、個々の表現をどのように表わしていくのか。これだ。クオリティーという実態のない尺度を見据えつつ、その向こう側に手を伸ばす。クオリティーをないがしろにしてはいけない。しかし、クオリティーに振り回される姿も滑稽だ。

答えはちゃんと自分の中にある。加工しすぎたら「やりすぎた」と思うし、どんなに好きなカメラとレンズでも、撮って出しで物足りなさを感じることもある。自分の感じ方に素直に耳を傾ければ、自ずとなすべきことが見えてくる。ただその、自分の感じ方に素直になるのが難しいのだが。

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October 08, 2017

黄色いテント屋根のレコード店

駅から徒歩5分ぐらいのところに、黄色いテント屋根のレコード店があった。就職したての頃、給料が出るとこのレコード店でCDを買うのがささやかな楽しみだった。あの当時はThe Smithにハマっていて、月1枚ペースでアルバムを買い足した。The Smithをコンプリートした後はMorrisseyのソロアルバムをそろえた。いま思うと、住宅地のレコード店でMorrisseyのCDが買えるなんて、ちょっとどうかしている。老夫婦が経営する小さなレコード店だったのに、どうしてThe SmithやMorrisseyが買えたのだろう。店内はさすがにCDが主体になっていたとはいえ、アナログレコードやカセットテープもそれなりに店頭に並び、昭和の佇まいを色濃く残したレコード店だった。

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α7II + PO3-3M 50mmF2

このレコード店が店を閉めてどれだけの年数がたったのか、記憶は定かではない。色褪せた黄色いテント屋根と錆びたシャッターは、すでに風景の一部と化していた。隣の薬局も店を閉め、すぐ脇の飲み屋横町もいつしかネオンの灯らない夜が当たり前になった。ゴーストタウンならぬゴーストストリートのできあがりだ。

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このゴーストストリートではたくさんの写真を撮らせてもらった。オールドレンズ撮影はどうしても古い被写体を選びがちだ。テスト撮影はもちろん、作例として掲載したことも一度や二度ではない。そんなお世話になりっぱなしだったゴーストストリートも、ついに工事の柵で囲われ、取り壊し作業がはじまった。ここ数年、こうした街の新陳代謝が勢いを増している。ぼくは足立区に住んでいるのだが、最寄り駅の界隈はもちろん、北千住、小菅、西新井、このあたりの建て替えは急加速度的だ。気になった街並みはそのときに撮っておかないと、数ヶ月先にはもう姿を変えている。

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今日は久しぶりに「The Queen Is Dead」でも聴こうと思う。

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September 08, 2017

橋で立ち止まってはいけない

橋の上から運河をのぞき込んで撮る。と言っても、何があるわけでもない。お散歩スナップする人ならわかってもらえると思うけど、何もなくてもシャッターは切るモンだ。

そしたらひとり、またひとり、橋から下をのぞきはじめた。何もないですよ。土左衛門とかいませんよ。アッという間に人だかりができ、あわてて逃げ出した。ホント、すみません。悪気はなかったんです(汗)。

Leica M10 + 7artisans 50mm F1.1

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June 30, 2017

「オールドレンズの世界2017」を見てきました!

O.L.C(オールドレンズクラブ)のグループ展「オールドレンズの世界2017」を見てきました。同グループ2回目の写真展で、前回もけっこうなクオリティーでしたが、今回はよりパワーアップしていました。どの作品も大きくプリントされ、オールドレンズの描写がしっかりと伝わってきます。

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●オールド・レンズ・クラブ 写真展
オールドレンズの世界 2017

場所:ホルベインギャラリー(大阪市中央区上汐2丁目2番5号)
期間:6月26日(月)~7月1日(土)
時間:11:00~18:00(最終日は16:00まで)

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ぼくがギャラリーに着いたのは木曜日の16時ぐらい。平日でこの賑わいです。グループ展をやったことのある人ならわかるでしょうが、これはけっこうな集客力ですよ。

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会場は広く、ゆったりと写真を見て回れます。また、オールドレンズクラブのメンバーが写真についていろいろと解説してくれるので、ぜひメンバーにひと声かけてあげてください。オールドレンズ談義に花が咲くと思います。

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これはオールドレンズと現行レンズの撮り比べのコーナーです。新旧中判レンズで撮り比べを行い、それを展示しています。オールドレンズのおもしろさを実感できるコーナーです。

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ぼくは香港のトランスフォーマーマンションを出展しました。キャンバスプリントで仕上げてあります。ウェブ上ではちょくちょく見せてきた写真ですが、大きなプリントでじっくりと見てやってください。

「オールドレンズの世界2017」は明日土曜日の16時までです。関西方面のオールドレンズファンの皆様、ぜひ足を運んでいただけると幸いです。

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June 12, 2017

「オールドレンズの世界 2017」のお知らせ

オールド・レンズ・クラブのグループ展が6月26日より開催されます。オールド・レンズ・クラブは大阪のオールドレンズ同好会で、ぼくも顧問という形で微力ながらお手伝いしています。開設以降、順調に会員数を増やし、2回目のグループ展開催と相成りました。関西のオールドレンズファンの皆さん、ぜひお立ち寄りください。

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●オールド・レンズ・クラブ 写真展
オールドレンズの世界 2017

場所:ホルベインギャラリー(大阪市中央区上汐2丁目2番5号)
期間:6月26日(月)~7月1日(土)
時間:11:00~18:00(最終日は16:00まで)

ぼくもオールドレンズで撮った作品を出展します。今日、制作依頼していたキャンバスプリントが届きました。自分で言うのもなんですが、かっこよく仕上がってます(笑)。期待してください。なお、29日の夕刻から在廊する予定です。

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May 11, 2017

Anamorphic Lensのダブルフォーカス覚え書き

ここ数日、アナモルフィックレンズと格闘している、というか、もてあそばれている(笑)。スチル派の人はあまり縁が無いと思うが、アナモルフィックレンズとは、すごく端折っていうと、フツーのカメラでワイドスクリーン用の映像を撮る装置だ。とりあえず作例を見てもらうのが手っ取り早いかな。

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α7II + Ai Nikkor 50mF1.4S + Prominar Anamorphic-16

トリミングしたわけではなく、素でこのように撮れる。正確に言うと、横方向を圧縮した状態でイメージセンサーに像を投影し、それを画像編集ソフトで横方向に引き延ばす。像の伸縮でワイドスクリーン映像を撮るというのが特長だ。

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これが撮って出しの画像だ。これをPhotoshopなどで横方向に伸張すると、ワイド画面になる。ただ、実際に伸張すると補間解像度になってしまうので、ここでは縦方向をつぶしてワイド画面にしている。

アナモルフィックレンズというのは、像を縦長にするコンバージョンレンズだ。ただ、厄介なことに、ピントリングがある。マスターレンズの先にアナモルフィックレンズを装着するので、マスターレンズのピントリング、アナモルフィックレンズのピントリング、ふたつのピントリングを制御しなくてはならない。どちらかを固定して片方のみでピント合わせできたら楽なのだが、残念ながら、双方の調整が必要だ。

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双方を調整すると書いたが、具体的には被写体までの距離を、双方のピントリングにセットする。遠景にピント合わせするのであれば、アナモルフィックレンズとマスターレンズ、ともに∞マークにピントリングをセットする。被写体までの距離が3メートルなら、ともに3メートルにセットすればよい。とりあえず、ぼくが入手したプロミナーアナモルフィック16ではそのような結果になった。ちなみに、双方のピントリングを無限遠位置にセットし、ヘリコイドアダプターでピント合わせするという方法も試したが、うまくピント合わせできなかった。アナモルフィックレンズとマスターレンズ、双方のピントリングを同一距離にセットする、というのが原則のようだ。

理屈の上では上記のようになるが、ピントリングの操作はなかなか骨が折れる。要は被写体までの正確な距離がわかれば良いのだが、通常の撮影だと早々測定できるものではない。結局はライブビュー画面を見ながらピントを詰めていく。いろいろ操作を試した結果、ぼくは以下のやり方に落ち着いた。

(1)被写体よりもやや遠目にアナモルフィックレンズのピントリングをセット。
(2)マスターレンズのピントリングを被写体までの距離にざっくりと合わせる。
(3)アナモルフィックレンズのピントリングを近接方向にゆっくりと回す。
(4)マスターレンズのピントリングを左右に動かし、合焦位置を探す。

要はアナモルフィックレンズのピントリングを一定方向にゆっくりと動かし、マスターレンズのピントリングはその前後を探るように動かす。こうすると、どこかしらで合焦位置をつかめる。むろん、ライブビューは拡大表示で使用する。ふたつのピントリングを同時に操作するため、三脚は必須だ。以下、今回の撮影の諸条件を記しておく。

・16mmムービー用のKowa Prominar Anamorphic-16を使用
・マスターレンズは50mmレンズ
・Vid AtlanticのBasic Clamp Kitで装着
・アナモとマスターレンズの間隔はテキトーでOK
・α7IIはAPS-Cモードで撮影
・F4以降で四隅のケラレが目立つ

たかがパノラマのために何故そこまで苦労するのか、と問われると返す言葉もないのだが、アナモルフィックレンズならでの描写がある。そのあたりをスチルで見せていきたいなあというのが狙いだ。結果はまた追々と。

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May 05, 2017

悩ましい旅の中望遠

来月、長期の撮影ロケに出かける。ライカM10をメインのボディに据え、最小構成のレンズで挑もうと思っている。広角と標準はすぐに決まったのだが、中望遠が決まらない。候補は2本、ファットエルマリートかトリオプランだ。

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Leica M10 + Tele-Elmarit 90mmF2.8

ファットエルマリートことTele-Elmarit 90mmF2.8は、有り体に言うとフツーによく写るレンズだ。ボケ味よし、コントラストよし、シャープネスも良好。中望遠なので距離計連動での撮影は少々手間取るが、1~2段絞ってしまえばレンジファインダーでもまったく問題ない。ボディはM10なので、いよいよとなればライブビューという手もある。

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Leica M10 + Tele-Elmarit 90mmF2.8

ただ、どうにもおもしろくない。不安要素ゼロのレンズだが、それゆえに、出来レース感は拭えない。おそらく、目の前の光景を予測通りに切り取ってくれるはずだ。優等生であることに文句を付けるのは、人としてどうかと思うけど(笑)。

じゃあ、Trioplan 100mmF2.8はというと、描写的にはコントラストが低く、周辺解像力も期待できない。所有するトリオプランはさほど曇りはないのだが、ちょっとした光ですぐにフレアが出る。雑誌的な論調だと、「ゆえにおもしろい」という展開になるのだが、目的が旅の中望遠だと、そうも言っていられない。グダグダな写真を連発して、全カット使い物にならなかったらどうしよう!? この不安はたまらない。やめておけ、とオレのゴーストが囁く(笑)。

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Leica M10 + Tele-Elmarit 90mmF2.8

それでもなお、トリオプランを旅レンズの候補に挙げているのは、撮影フィーリングが良いからだ。けっして小振りではないのの、軽量で携行が苦にならない。ヘリコイドの感触と合焦していく感じのバランスはけっこう好みだ。絞りリングはクリック感がないものの、軽く力を入れて動かすと、ちょうど1段分でストップする。端的に言うと、フィジカル面でとても相性が良い。個人的に使っていてすごく楽しいレンズなのだ。

おそらく、ボディがα7IIなら迷わずトリオプランを選んだだろう。M10でトリオプランを使うには、やはりEVFがほしい。液晶画面でライブビューを使い続けるのは正直とつらい。M10のEVFは7万ぐらいだったか。何かレンズ買える金額だな(笑)。あと、M10はバッテリーが小さくなったので、常時ライブビューだと予備バッテリー2本は必須だろう。この出費も微妙に痛い。

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Leica M10 + Tele-Elmarit 90mmF2.8

そうそう、M10とトリオプランを使っていて気付いたのだが、このレンズ、絞りで焦点移動していないだろうか。F4以降で微妙にピントを外すケースが多く、どうにもモヤッとしている。液晶面のライブビュー撮影だと、カメラが前後する懸念が捨てきれないのだけれど。ますますEVFでかっちりピント合わせしたくなる。ファットエルマリートかトリオプラン、ホント悩ましいな、旅の中望遠。

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April 09, 2017

オールドレンズの森は深いままでいい

とあるレンズのリペアマンが、Facebookでヤシコールの謎を解析していた。Yashikor 5cmF2.8はクセノタール型のレンズとして有名だ。が、一部にテッサー型らしき個体があり、クセノタールなのかテッサーなのか、その謎に迫るというものだ。彼はいくつものヤシコールを解体し、一次情報から「Yashikor 5cmF2.8はすべてクセノタール型というわけではなく、テッサー型もある」と結論づけた。定説を覆す勇気がすばらしい。

実はぼくもYashikor 5cmF2.8は持っている。クセノタールという触れ込みで買ったものの、現物を見る限りテッサー型としか思えない。レンズに詳しい人に相談したところ、やはり「ヤシコールにはクセノタールとテッサーがある」という話だった。ただ、世の中には「ヤシコールといえばクセノタール」と信じて止まない人がたくさんいるわけで、そうした逸話はオールドレンズ的ロマンのひとつと理解した。

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α7II + Yashikor 5cmF2.8

似たようなことは、オールドレンズにハマリだした当初、アンジェニューで経験したことがある。P.Angenieux Paris 35mmF2.5 R1は、ゆるふわの代名詞のようなレンズだった。Exakta VX1000に付けて撮ったところ、とにかくピントが合わない。35ミリレンズなのである程度被写界深度が深いのはわかる。そうは言ってもどこにピンがきているのはまるでわからないのだ。カメラの先輩達に相談したところ、「アンジェニューはそういうものだから」という答えだった。アンジェニューはそもそもフワフワした写りで、ピント精度を追い求めて使うようなレンズではないと。ただ、このレンズをデジタルで使うようになり、状況が一変する。

当初、EOS 20Dという中級デジタル一眼レフでアンジェニューを試した。このカメラはファインダーが小さく、ライブビューもない。当然ながらピント合わせには苦労し、ゆるふわな写真ばかり撮っていた。が、その後、EOS 1D Mark IIIというライブビュー可能なカメラに買い換え、さらにミラーレス機が登場するに至り、デジタルでのファインダー環境が大幅に改善する。すると、例のアンジェニューでもジャスピンで撮れるようになった。目の前に現れた像は、これまで見たこともないカミソリで削いだようなシャープさだ。それ以来、このレンズをレビューするときはカミソリシャープという言葉を使うようになった。

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α7II + P.Angenieux Paris 35mmF2.5 R1

ただ、ここで注意したいのは、「アンジェニューをゆるふわと称するのはまちがい。カミソリシャープこそが真の姿だ」と言ってしまうと必ずしも正しくない点だ。つまり、こういうことだ。ライブビューの拡大表示というファインダー環境が使えるようになり、我々はようやくアンジェニューのシャープさに気付けた。アンジェニューは昔からシャープだったものの、それを引き出せるファインダー環境(要はカメラボディ)がなく、結果、ゆるふわなレンズと称されることが多かった。ゆるふわもカミソリシャープも、どちらもアンジェニューの姿というわけだ。

ぼくはこの手の話をオールドレンズ的ロマンと呼んでいる。オールドレンズにまつわる逸話は本当にたくさんある。特にOEMがらみの逸話の一人歩きっぷりはすごい。OEMの実情が表に出てくることは原則ありえないので、多くは憶測だったり、個体レベルの話に過ぎないのだが、もっともらしく語られると、「なるほど、そういうものか」と思ってしまう。以前、当時の関係者に取材してみたら、オールドレンズ界隈で言われていることとまったく別の答えが返ってきて驚いたことがある。また、当時のレンズ設計者と言えどもOEMなどの営業方面はタッチしていないため、逸話の裏取りは想像以上に険しいと感じた。オールドレンズの森はかくも深いものなのだ。

さて、ぼくはオールドレンズ研究家ではない。あくまでもオールドレンズの本を作るライター兼編集者だ。ぼくの目的は、オールドレンズの森を刈って真実に光を当てることではない。むしろオールドレンズの森の歩き方を意識している。オールドレンズの森に足を踏み入れ、深く、より深く分け入っていく。そこに高揚感があることを、オールドレンズファンならばよくご存知だろう。ゆえにオールドレンズ的ロマンなのだ。

オールドレンズの森は深くていい。深ければ深いほどいい。森の中で彷徨うことも含めて、オールドレンズの楽しさなのだと思う。

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March 29, 2017

Vitessa T プランジャーの攻略

フォクトレンダーのビテッサTというカメラをご存知だろうか。スプリングカメラのビテッサは有名だが、ビテッサTはビテッサのデザインを継承しつつ、レンズ交換式にしたカメラだ。レンズ交換式という機能性アップを果たしているにも関わらず、ガンダムに対するジム的な外観がそこはかとなくわびしいカメラである。

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そんなこんなのビテッサTだが、向かって右側に棒が突き出している。これはプランジャーと呼ばれ、押し下げるとワンアクションでシャッターチャージできる画期的機構だ(もちろん当時において)。ただこのプランジャー、突き出した状態ではどうにも座りがわるい。押し込んだままの状態にできないものかと色々調べてみたのだが、グーグル先生の答えは「できるけどやり方はわかならない」だった。ダメじゃん(笑)。

そこでFBでボヤいたところ、市川泰憲さん(日本カメラ博物館のエライ人)からコメントが付いた。曰く、ゆっくり押し込めばOKと。試してみると、ゆっくり押し込むだけで固定できた。おいおい、今までの苦労はナンだったんだ!? ただ、幾度か試していくと、百発百中とはいかなかった。ゆっくりやっても指を離した途端、飛び出してしまうこともある。機械である以上、100パーセントの再現性がほしい。できたりできなかったりではナットクしがたい。

通常の押し込みとゆっくりした押し込み、そのちがいを自分なりに観察しながら試した結果、再現性100パーセントの操作方法に至った。ぼく以外にビセッタTのプランジャーに悩んでいる人が何人いるかわからないが、備忘録としてここに明記しておく。

●Vitessa T プランジャーの固定方法
プランジャーを最後まで押し込まず、少し手前で指を離す。

プランジャーはスプリングの反発が強く、ゆっくり押し込むと最後まで押し込めずに指が離れる。そのため、ゆっくり押し込むと固定できたわけだ。また、ゆっくり押し込んでも、最後までしっかり押し込めば、指を離した途端に飛び出してしまう。

夕方からプランジャーの押し込みを訓練した結果、高速押し込みでも固定できるまでに上達した。名刺の肩書きに「Vitessa T プランジャープロ」を加えたい。

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