エッセイ

August 06, 2020

としまえん自虐史観

としまえんは練馬区だ。中高生のころ、練馬区民だった僕にとって夏ととしまえんはほぼ同義語だった。友達の誰かしらが木馬の会に入っていて、そのツテで正規料金よりも安くフリーパスを手に入れる。午前中はプール、午後から乗り物。それが練馬区に住む中高生の夏の風物詩だった。

オートスクーターを十連続で乗って、チームバトルしたのはいい思い出だ。十連続といってもそのまま乗り続けるのではなく、時間がきたら一度降りて、乗り口までダッシュして再乗車をくりかえす。すでにコーククスリューやフライングパイレーツは乗り飽きていたので、地味な乗り物で工夫して遊ぶことが多かった。

ついでにいうと、成人式を迎えた練馬区民は、その日一日としまえんがタダになる。練馬文化センターで成人式をすませ、一度着替えてからとしまえんに再集合。園内で軽く遊んで飲みに行く。昭和を練馬区ですごした者にとって、としまえんは近所のスーパーと同程度に身近だ。

そんなとしまえんが94年の歴史に幕を下ろすという。最後に訪れたのは大学生だったか。三十数年ぶりにとしまえんの門をくぐった。

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α7III + G Biogon T* 28mmF2.8

頭上をサイクロンが轟音とともに駆け抜け、絹を裂くような悲鳴が追いかける。乗り物の配置が記憶のそれと異なり、途方にくれる。ミステリーゾーンの横からアフリカ館が消えていた。もう一度言う。よく聞いてくれ。アフリカ館が消えていた。

当時、仲間内ではアフリカ館派とミステリーゾーン派に分かれていた。僕は躊躇なくアフリカ館派だった。アフリカ館のないとしまえんなんて、富士山のない静岡県みたいなものだ。まさか、こんなにたよりない気持ちでとしまえんの地に立つことになるとは。

パイレーツ(フライングパイレーツではなくて小さい方のパイレーツ)は、コークスクリューの横でますます小さくなっていた。営業終了。解体こそされていないが、もう動くことはない。いつからとしまえんはレトロ遊園地になってしまったのだろう。

それでもこの日、コロナ禍のわりにたくさんのお客さんでにぎわっていた。カルーセルエルドラドはもちろん、ミラーハウスにも列ができていた(ウソじゃない。ミラーハウスにひとが並んでいた!)。園内どこを歩いても歓声にあふれている。それは昭和のとしまえんと何ら変わらぬ姿だった。

それなのに、どうして僕はこうも憂鬱なのだろう。その正体に気づくのに、すこし時間が必要だった。

サイクロンの轟音、コークスクリューの悲鳴、どっと沸くような歓声、それらを包み込むように大音量のBGMが流れていた。それらはとしまえん全体の音として、常にぼくの耳を覆っている。だからその曲に気づけなかった。

The Doorsのファーストアルバム「ハートに火をつけて」、あの狂気に満ちたアルバムが、1曲目から順々に流れていた。三十度を超える真夏日、親子の歓声に沸くとしまえんに、ジム・モリソンの陰鬱な声がこだまする。そして、あの曲を迎えた。

“This is the end~♪”

焼けたアスファルトから、黒塗りのウィラード大尉が顔を出す。やるな、としまえん。

 

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